初めて歴史小説読んでマジ泣きした。しかも電車の中で。
こんなに、美しい生き方をした人がいた。
峠 (上巻)(不覚にもマジ泣きしたのは、「下巻」)
越後長岡藩総督 河井継之助
↓次の一説でお涙ポロリ。ここまでの話がそれはもういろいろあるんだけど。
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継之助は、この戦争の意義について考えつづけた。
---美にはなる。
というこであった。人間、成敗の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。「美ヲ済ス」それが人間が神に迫り得る道である、と継之助はおもっている。
---考えてもみよ。
と継之助は思う。いまこの大変動期にあたり、人間なるものがことごとく薩長の勝利者に、おもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩を忘れ、男子の道を忘れ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。
---それが日本男子か。
と、おもうにちがいない。その程度のものが日本人かとおもうであろう。知己を構成にもとめようとする継之助はいまからの行動はすべて「後世」という観客の前でふるまう行動でなければならないとおもった。
---さらにまた。
人間とはなにかということを、時勢におごった官軍どもに知らしめてやらねばならぬと考えている。おごり、高ぶったあげく、相手を虫けらのように思うに至っている官軍や新政府の連中に、いじめぬかれた虫けらが、どのような性根をもち、どのような力を発揮するものかを、とくと、思い知らしめてやらねばならない。
---必要なことだ
と、継之助は考えた。長岡藩の全藩士が死んでも、人間の世というものは続いてゆく。その人間の世界に対し、人間というものはどういうものかということを、知らしめてやらねばならない。
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北越戦争なんだけど。継之助は、十中八九負けると思っていた。その上、幕府による封建制度は崩壊することを明確に思っていた。しかし、その越後長岡藩家老という立場では、長岡藩を守るという思いがある。このあたりは、一見すると矛盾するんだけど、それが継之助の武士道なんだ。
侍とは、なにか。
この江戸後期、幕末にかけての日本人は美しい。司馬遼太郎も、「人間として芸術品」とのべている。
「人はどう行動すれば美しいか」という武士道倫理と「人はどう思考し、行動すれば公益のためになるか」という儒教の2つの倫理がそれを作り出している。
Samurai という言葉が日本だけでなく、いまだ世界で通用するのはそのうつくしい生き方のゆえんなのだろう。
継之助は、なぜ男子なのか?なぜ日本人なのか?なぜ長岡藩なのか?ということを考えていた。
「なぜ、どうやって生きていくのか?」
歴史に限らず、学ぶということは、そのヒントを見つけるためかもね。